私が彼女を好きになったのは、大学時代だった。
彼女はコンピュータサイエンス学院98級、可愛らしい笑顔の長春の女の子だった。私より一学年上で、キャンパスの中で見かけるたびに、胸の奥がじんと熱くなった。
あの頃、私は彼女に告白する勇気を持てなかった。代わりに、1999年の冬、私はひとつのホームページを作った。当時、ホームページを作れる学生はまだ少なかった。HTMLを手で打ち込み、画像は少しずつスキャンして、二匹の小さな熊が雨傘を差している絵を描いた。傘を伏せて二匹の熊を隠すと、傘の上から赤いハートが飛び出す、そんな仕掛けを作った。
そのホームページのBGMには、日本の映画『情書』の音楽を選んだ。岩井俊二監督の、あの透き通るような雪の情景と、乙女の初恋の切なさを映した音楽。
彼女にホームページのアドレスを送った。
数日後、彼女は私に言った。「とても感動した。」そして、あの映画を実際に見に行ってくれたそうだ。
あの瞬間、私は彼女の中に何かが灯ったのを感じた。
でも、私は最後まで、彼女に直接会って「好きです」と言えなかった。いつもQQの中での文字だけだった。画面越しに打ち込んだ言葉は、どれほど本心でも、ネットの中に溶けていくだけだった。
卒業が近づいた頃、彼女はそのまま大学に残って研究生になった。私は上海に渡った。彼女はその後、さらに遠くへ、シンガポール国立大学へ博士課程に進んだ。距離は開く一方だった。
月日は流れた。2010年、私も仕事でシンガポールに渡った。偶然にも、彼女はまだシンガポールにいた。博士課程の学生として、大学のキャンパスの中で学んでいた。
不思議な縁だった。
あの頃、QQでしか繋がれなかった私たちが、同じ街の空の下で暮らしていた。
でも、その時、私はもう結婚していた。
彼女に連絡はした。ネット上で短い言葉を交わした。けれども、二人とも、あの頃のままではいられなかった。再会を果たすことはなかった。
私はFacebookで彼女をフォローした。彼女の投稿を時々見ていた。日常の小さな幸せそうな瞬間が、画面を通じて伝わってきた。少しだけ、胸が痛んだ。
一年後、私は中国に帰国した。Facebookはもう開けない壁になり、彼女の近況は画面から消えた。連絡はまた、途絶えた。
それから十数年。
去年の秋、私は日本を旅した。京都の古い町並みを歩き、東京の雑踏の中を迷い、京都の夜の静けさの中で、ふと『情書』のことを思い出した。あのホームページのBGMだった、あの映画を、私は一度もちゃんと見届けていなかった。
帰国後、私はその映画を最初から最後まで見た。
博子が雪の中に立ち、樹の向こうへ「あなた、元気ですか」と呼ぶシーンで、私は涙が止まらなかった。
ああ、これだったのか。
私が彼女に伝えられなかった言葉、彼女が私に伝えられなかった言葉、二人の間に流れた時間、すべてがこの映画の中に詰まっていた。
あの頃、もし私がこの映画を見終わっていたら、もしあのホームページの向こうではなく、彼女の目の前で「好きです」と言えていたら、私たちの人生は、違うものになっていたのだろうか。
わからない。
でも、人生に「もし」はない。
昨日、私はFacebookに久しぶりにログインした。彼女のページは、もう十年近く更新されていなかった。消息は途絶えたままだった。
それでも、私はメッセージを送った。
『『情書』を、ようやく見ました。1999年の私を、許してください。あの時、もしこの映画を見終わっていたら、私はあなたに会いに行けたかもしれないのに。私たちの人生は、違っていたかもしれないのに。』
送った。返事はまだない。
彼女が今、どこで何をしているのか、私にはわからない。結婚したのか、子供がいるのか、元気でいるのか。
ただ、あの1999年のホームページは、今もどこかのサーバーの中で、二匹の小熊が雨傘を差している。雨傘を伏せれば、赤いハートが飛び出す。あのBGMが、今も静かに流れている。
初恋は、実らなかった。
でも、あの頃の私に彼女への気持ちを伝える手段を与えてくれたこと自体が、あの映画の音楽が、私の青春の一部だったこと自体が、私の人生を豊かにしてくれた。
彼女は読むだろうか、私のこのメッセージ。
彼女は覚えているだろうか、あの雨傘の小熊を。
答えはない。
でも、答えがないこと自体が初恋の、本当の姿なのかもしれない。
